TM1 オフィシャル ヒストリー

継続的な草の根活動

30年前にTM1が設計された当時の基礎が、未だに、このソフトウェアがパフォーマンス・アドバンテージを保てている理由です。
1980年代初頭、エクソン・コーポレーションで既に10年間勤めていたマニー・ペレス(Cubewiseの現テクニカル・エグゼクティブ)はニューヨークにあるエクソン・インターナショナルの供給・輸送部門に配置されました。この部門が担っていたのは、世界中に配給する全てのエクソンのオイルを輸送することでした。このオペレーションは、船舶やカーゴの追跡を行うIBMのIMSを基にしたインタラクティブ・システムにより実行され、コントロールされていました。このオペレーションの補助として、プランニング・チームが行う月別と四半期別の供給計画に役立てるため、プランニング・システムが利用されていました。しかし、このシステムは機能に制限があり、稼動させるのに多くの費用がかかりました。
一番最初にTM1を設計するインスピレーションを得たのはマニーではなく、IT部門にいたリリー・ウェイリーでした。ウェイリーはIMSシステムに代えて、IBMのメインフレームであるタイム・シェアリング・オプション(TSO)を利用したプランニング・システムを開発し、運転費用を大幅に削減することを提案しました。キャリアのほとんどをIT部門で過ごし、本質的にハッカー精神のあるマニーは、このプロトタイプを開発するのは彼自身の役目であると考えました。これに取り組み始めてマニーがすぐに気付いたことは、必要とされる多次元性とインタラクティヴィティーを実現するためには、データ・ストラクチャーをディスクにではなくコンピューターのメモリーに保存することが必要であるということでした。
このひらめきは、この後何年もの間に渡りTM1を取り巻くこととなる争論の始まりでもありました。リリーとIT部門は、ディスク・ベースのデータベース・システムを利用したシステムを開発すべきだと主張しました。しかし、幸いにも、経営陣がマニーの提案をサポートしたため、新システムは1981年にインストールされ、稼動に成功しました。
自身が開発したこのプランニング・システムの事業としてのポテンシャルに気付いたマニーは、商業化の可能性を探り始めました。1981年の始めの頃はまだIBMのパーソナル・コンピューターが発表されておらず、Apple II®の企業における利用はそう目立ったものでもなかったため、マニーは当初公共のメインフレーム・タイム・シェアリング・システムの利用を考えていました。しかし、まさにそんなとき、IBMのパーソナル・コンピューターが発表されることとなります。この機会が創り出したのは低コストで行える開発環境であり、マニーはこのチャンスを見逃しませんでした。
このすぐ後、マニーはエレクトロニック・スプレッドシートVisiCalc®を見つけ、彼が夢に描いた製品であるファンクショナル・データベースのユーザー・インターフェースには、これが理想的であると確信しました。マニーのアイディアは多次元データベースとスプレッドシートを統合させることでした。これは基本的にはデータベース内のセルをスプレッドシート内のセルに個別にリンクさせることであり、スプレッドシート単体が行える財務報告、予算編成、予測分析を遥かに上回るハイパフォーマンスで、スケーラブル、かつ直感的に使えるパワフルなユーザー・エクスぺリエンスを可能にするものでした。
マニーは256kメモリー搭載のIBMのパーソナル・コンピューターと2つのフロッピー・ドライブを購入し、それらを屋根裏部屋に置き、いつも会社から帰ってくると取り憑かれたように理想に描くソフトウェアの開発に取り組むのでした。1983年の夏までには実践的なプロトタイプを完成させたマニーは、エクソンを退社する決意をし、ファンクショナル・データベース事業の発展にフルタイムで専念するようになりました。マニーと彼の旧同僚であり友人でもあるホセ・サイナイは思慕を通して資金調達を行い、1983年の初頭にシンパー・コーポレーションを設立しました。その年の夏、ニューヨークで開催されたPC Expoカンファレンスにおいて、史上初のファンクショナル・データベースとなるTM1は発表されました。
その当時の製品は、多次元性キューブ群のデータベースと独自のスプレッドシートを使ったユーザー・インターフェース、また次元やキューブ群を作るツールで構成されたものでした。『TM/1』という製品名はPC Expoの日が近づく最中、パニックに近い状況において採用されたものでした。TMは『テーブル・マネージャー』を表す。この当時、関係テーブルという概念は未だ存在しておらず、硬派な数学者気質を備えたマニーは3次元という限界を示唆する『キューブ』という言葉を使うことに抵抗を感じました。
ほとんどの起業家がそうであるように、マニーはTM1が間髪おかずに成功を収めると期待しており、彼の一番の恐れは大企業との競合でした。しかし、現実はこれとかなり様相を異にするものでした。TM1に対する一般大衆の反応は、大あくびを出さんばかりの無関心さでした。最大のハードルは、そのコンセプトが一般大衆には全く掴み難いものであったこと、またソフトウェアに使われていた独自のスプレッドシートがその当時の『スタンダード』であるLotus® 1-2-3とは異なるものだった、ということでした。しかし、追い風的な要素として挙げられるのは、コンセプトを理解したごく少数の人々が、瞬時に狂信的なファンになったということでした。こういったファンの中には、大企業においてかなり高位置に就く人が少なからずいて、このソフトウェアの擁護者となるのは彼らのような人物でした。財務やその他の部門に所属していることが多いこれらの擁護者は、マニーがエクソンで経験したような抵抗をIT部門から直ちに受けることとなりました。
しかしながら事業業績は芳しくなく、成長は氷河のごとくゆっくりとしていましたが、これもクライアント/サーバー・バージョンのTM1が開発されるまでのことでした。これによりLotus 1-2-3とMicrosoft Excel®をクライアントとして使えるようになったため、成長率が大幅に向上しましたが、それでもまだその後数年間はかなり低い位置にとどまっていました。その間多くの潜在的競合企業が現れましたが、これらもまたすぐに消え去っていきました。
ゆっくりとした成長と、目立った競合が見られなかったこの数年の間に、驚くほど忠誠なユーザー・ベースは常時拡大を続け、製品の限界を押し広げました。サーバー・アーキテクチャー、ルール、ターボ・インテグレーター、セキュリティー、ハイパー・スパーシティーなど、全てとはいえなくてもほとんどのメジャー/マイナーな性能の向上は、ユーザー・エクスぺリエンスと彼らからの要求の結果です。この経験からマニーはTM1の秘訣をサイクル形式で以下に表しています:
  1. 不条理なまでの複雑さを回避し、シンプルかつ高い機能性を備えた製品。
  2. 最新のコンピューター・テクノロジーを取り込む。
  3. ユーザーに製品を使ってもらい、その機能の限界を押し広げる。
  4. ユーザーが伝える新たな必要性を聴く。将来的に要求される事項を予測し、考慮する。
  5. エレガントにシンプル、かつ完成された追加機能を取り入れる。
  6. ステップ2に戻りこのサイクルを30年以上繰り返す。
このアプローチのおかげで、今日に至るまでTM1は実用的で価値あるツールとして存在し、この製品の擁護者にインスピレーションを与え続け、そしてこれが世界中で狂信的なファンを獲得してきた理由でもあるのです。
1996年、シンパー(当時はTM1ソフトウェアと呼ばれていた)はアプリックスに買収されました。この期間、アプリックス自体は動乱の時期を迎えていたにも関わらず、TM1は有機的な成長過程を続けました。TM1 Webといった新たな機能により、ビジネス・ユーザーはスプレッドシート上にアプリケーションを作ることができるようになり、またウェブを通してこれらをより多くのユーザーのために利用することができるようになりました。
2000年代の前半から、64ビットのコンピューターが主流となり始め、これによりTM1はより一層スケーラブルに、そしてメモリー価格の下落はTM1の稼動をより安価なものにしました。この途端、ディスクベースのコグノス・プランニングやハイペリオン・エスベースの弱点が露出され、TM1はその高い柔軟性というアドバンテージを保ちながらも、数多くの受注によりこういった競合ソフトウェアに差をつけ、その地位をより確かなものにすることとなりました。
この変化により、全世界的TM1の成長は黄金期に突入することとなります。成長が目覚ましかったのは北米、イギリス、ドイツ、そして特にオーストラリアでした。しかしながら、それでもTM1は業界の枢機的秘密にとどまるのでした。知名度の高いブランド製品が獲得できるような宣伝力や注目度を得ることは決して無く、特化されたテクノロジーとして認識されるのがほとんどの場合でした。TM1は真の草の根活動だったのです。業界のアナリストやメインストリームの広報に絶賛されるより、このソフトウェアはチャンネル・パートナーやエンド・ユーザー達から熱い支持を受け続けたのです。別の言い方をすれば、電灯の灯る瞬間を体験した人々が、その瞬間にTM1の狂信的ファンになっていったということです。
しかしながら、2007年の終わりにコグノスがアプリックスを買収し、その4ヶ月後にはIBMがコグノスを買収することとなります。TM1の最大の限界はそのサイズにあるとマニーは好んで言っていました。このサイズが指すのはキューブ群のサイズのことでも、多次元性のことでも、それが利用できるアプリケーションのサイズのことでもなく、これを販売する会社の規模のことです。そして遂に、この限界が一夜にして取り払われることとなったのです。初めて、TM1は世界的なトップ・ブランドを味方にし、そのグローバル・ネットワークを介した配給ができることとなったのです。更に、買収したTM1の資産価値を認識していたIBMは、パラレル・インタラクションやマルチスレッディッド・クエリ・モード等を含めたスケーラビリティーを大幅に向上させるプロジェクトに大規模R&Dチームをあてたのです。これによりTM1モデルは何千ものユーザーの利用に合わせたスケーリングを行えるようになり、他の競合ソフトウェアの一世代先を走り続けられるようになったのです。
いうまでもなくTM1はIBMの傘下においても成長し、進化を続け、新たな世代の狂信的ファンを獲得しています。特に、IBMが2014年にリリースしたクラウド・ベースのTM1 REST APIは、何年も前にマニーが心に描いたビジョンを体現するものに更に接近しているのです。ファンクショナル・データベースがその価値に相応しく、世界中の財務報告、予測分析、予算編成のためのアプリケーションの基礎となり戦略的バックボーンとなる日が到来するのです。